自分の心の火が揺らついているとそれを整え直すのに「他」の「火」にあたりにいきたくなるもの。民俗学では「旅」を「他火」と書くそうだ。そんな「他」の「火」にあたりながら考察する「夢多(ムダ)」の多い日誌。


by agtec
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たまにはフォークソングも唄いたくなるのさ(第2回)

※読む前に注意
今回の「ひとり言」は少し長いかもしれないけどGW暇で物好きな方はお付き合い下さい。

いつもの自虐的なマクラ文
 GW後半戦。みなさまいかがお過ごしでしょうか?前回の第1回に引き続き、連載第2回目です(第1回目の退屈な文章ははこちら)。この連載は、GWどこにも行くあてのないオイラが、たまには(いつもだけど)どこにも行かずのんびり過ごすのもいいんじゃないと思ってただ書いているだけなんだけど、「どこにも行かずに」のコトバの中には実はオイラの私情の入る余地はまったくなく、むしろ「どこにも行けない(行っている余裕はない)」と言ったほうが適当で、要領の悪いオイラには連休明けを迎えるにあたって多くの仕事が山積みなわけで、この休みを利用してはやれることはやっちまおうと、職場にてのんびり残業をしている合間に書いているムダな退屈なコラムです。
・・・ということをご了承いただきながら、前回の告知通り、昭和の日の話の続き的な意味合いで第2回目は、特に戦後昭和の原動力「団塊世代」についてちょろっと。ただ、団塊世代の話題といっても幅広く近年そんな話題もマスコミやメディアを通して多く語られているので深くはつっこまないが、仕事柄、都市と農村の交流活動をしているオイラとしてみれば、舞台の主軸を農村の切り口にして、しばしムダ話を書いてみよう。

農村から都会へ人口を吸収
 昭和の日について前回書いたけど、昭和の64年間は激動と復興と躍動といろんな出来事がおこった。平和について考えるときに振り返る時代としてオイラは捉えたいね。こういってブログなどに自由にオイラの退屈な痴話を言えるようになったのも戦後の復興と憲法の位置付けも大きいのだが、その戦後復興のあとの躍動の時代をつくってきた働き盛りがいわゆる「団塊の世代」たち。マーケティングとかの定義によれば、昭和22年~昭和24年生まれの世代を差すようで、800万人とも言われている。「団塊の世代」を生んだ親の世代は戦いの場を戦場から国土再建の現場に変え戦後復興に力を注ぎ、東京オリンピックに代表されるように高度経済成長期をつくっていった。そんな中、働き手が必要な都会は、戦場から戻ってたくさん子供を産んで育てた青年期になった「団塊の世代」をどんどん地方から集団就職させていった。
 一方、その背景のひとつには戦後の農村の大きな改革もあった。これまで小作として地主の畑を耕していた農民が農地をあてがわれ、自分の農地となったことで自作できるようになった。いわゆる「農地改革(農地解放)」だ。もちろん生産意欲がかきたてられ、日本農業は増産の時代を迎えた。そんな中、農家の跡取りにおいても、もっぱら古くから長男坊と慣わしになっていたが、本人の意思に関係なく長男坊があとを継ぐというような時代でもなくなり、さらに次男坊、三男坊は長男家に従属的労働に従事するか、他家の労働に行くという拘束的選択からも解放され、「団塊の世代」である青年たちは、自身の意思のもと都会へ出稼ぎに行く道も自由にされた。先に述べた地方から都会への集団就職の最初の青年たちでもあったろう。

「団塊世代」が「団塊ジュニア」を生みはじめる時代
 東京オリンピックも終わり、まさに復興とはこのことかと’60年代後半から’70年代にかけていろんな娯楽やファッションなどのブームメントが巻き起こった。そう、都会へ働き口を求めに行った当時20代の多感な時期の「団塊世代」を中心にね。当然オイラはTVでしかしらないけど、学生を中心にした全共闘運動とかの時代でもあり、いつの時代も20代というのはホントに勢いがあるもんだ。
 そんな中、前回思わず部屋の片付けの途中唄うのに夢中になってしまったフォークソングは、この’60年代から’70年代のものが多く、このような背景からなのか、なんかメッセージ性のある歌詞が多くてね、反戦的唄とか、貧乏的な唄とか、好きだという思いを強く出す歌とか、ま、唄いながらちょっと恥ずかしくなるような歌もあったんだけど、今にないストレートな歌詞が唄うのを夢中にさせたのかもしれないね。
 そんな多感な時期を迎えた青年たちは、親もとを離れて自分で喰っていける環境も整いはじめると、やがて家庭を持ち、子供をもうける。この’70年代の中期オイラが生まれる。オイラたちはいわゆる第2次ベビーブームとか最近では「団塊ジュニア」とかとも言われている。さらに、まさか、この生まれて間もないオイラたちが成人して社会に出る頃には、「団塊の世代」の青年期とはまったく違う「ロストジェネレーション」世代と呼ばれるようになっているとは当時生まれたばかりでかわいい顔をしていたオイラには当然思いもよらなかったけどね。

高度経済成長期終わりから現在
 ところで時代は少し戻るが、一方農村ではというと、農地改革以降、高度経済成長の中、1961年に農業界の憲法とも言うべき「農業基本法」が制定され、農業の近代化が図られていった。
 ’70年代にもなると耕地を耕すのも牛ではなく機械に変わり、肥料も堆肥から化学肥料が使われはじめ、もっと効率的で収益性のある農法が確立されながら経済的な農業として発展していった。生産性もあがり農家所得も向上していったものの、とりわけ米つくりに関しては田植えや稲刈り時期などを除けば管理作業も簡略化されたことから出稼ぎなど兼業化した農家も増え、また機械化により人手があまりはじめると都会への労働力として農村から若者の流出を加速させ、現在に見る後継者不足の引き金になっていった。
 また経済最優先により家族をもった青年たちが暮らす住宅不足などから、都市近郊には核家族向けの団地が形成されながら農村社会にはその経済的発展の格差的波は押し寄せ、農地を転用し住宅地やそれを囲むように商業施設などが立ち並ぶようになり名前ばかりの農村の近代化ともいうべき都市化にもつながっていった。
 そしていよいよ経済的に世の中が潤ってくると日本の食文化も欧米化に変わっていき、お米の需要は下がりはじめ、お米が生産過剰になってくれば、今度は米づくりに制限をかけはじめた。いわゆる「減反政策」である。しかし、’70年代後半、世の中全体がオイルショックを経験して、経済発展は一時深呼吸。そしてこの危機を乗り越えると、いよいよ80年代後半バブル景気がはじまり、あとは述べなくとも都市も農村も現在にいたっていく。

都市へ行った若者と農村へ残った若者
 バブル景気がはじまった頃、世の中の景気を動かしていた世代は働き盛りの「団塊の世代」だ。’90年代バブルがはじけ不況をひきづりなかがらも、最近ではミニバブルだといって勘違いしている格差社会にもなってはいるが、そんな時代を生きてきた「団塊の世代」は今年大量退職元年を迎えている。
 かつて、農村から都会へ行った若者は、都会から農村へ帰る段取りをしているという。いわゆるふるさと回帰だ。しかし、定年退職期を迎えた「団塊の世代」は、生まれ故郷には実家を継いでいる兄弟がいたり、両親ももう亡くなっっていたりと帰るべきふるさとがないという。
 そんな中、第2の人生を新天地でと農村移住の傾向が増えているともいう。農村にとっては迷惑な話だ。自身の意思でふるさとを出て行って、仕事がなくなったから農村へ帰ってくる。農村を守ってきた我々にとっては、帰ってくるために生産活動や農村社会を維持してきたわけではない。とでも、農村側の本音はそうかもしれない。しかし、農村も後継者不足、高齢化、過疎など様々な問題を抱えている。企業で培ったノウハウを農村に持って帰ってきて活性化につなげたいという希望もあり、団塊の世代向けに都市と農村の交流活動は近年広まってきている。

「団塊世代」のキーワード?
 さて、上っ面なことをだらだら書いてはきたものの、何がいいたいかというと、「団塊世代」のキーワードは「自分探し」だということ。
 自分の意志で都会へ行った青年もそうでない青年も、’60年代~’70年代の戦後の世の中の仕組みづくりに関わりながらもその秩序に対する不安や怒りを学生運動やフォークソングに込め、自由な時代だと確認しながら流行や娯楽を生み出してきた。日本有史上、身分もなければ政治的に弾圧もない民主的な自由な世の中を迎えた若者には、お手本にする過去の日本の20代像はどこにもなく、ビートルズが正解なのか、スクリーンの中の植木等のようないい加減さがいいのか、何が正しいか定かでない新しい世の中、自分が自分であることを確かめるためにさまざまな流行や娯楽をつくっていったのかもしれない。
 学生運動も、別に共産的に世の中をひっくり返そうとかいうクーデター的なものではなかったのも、むしろ、「革命」や「闘争」といった概念が一種のファッションだったと当時の出来事を振り返ったTV番組などを見たこともある。実はその中で、自分という存在を確かめたかったのではないかと思うんだ。

 無論、都会へ行かなかった農村青年も、これまでの小作人とは違い自分の農地を自作するという「農業の仕事」として生業となった途端、農地改革→増産→所得向上の時代→減反→となったあたりから親から「農業」をバトンタッチした戦後農業の2代目となった。そして自分の意思で農業を選んだ以上、減反以降の厳しい農政でありながらも、個性的・独創的な営農や販売方法などを模索しながら、「農業のよさ」「おもしろさ」を自分自身の生き方に照らし合わせながら自分自身の確認をしてきたと思う。そして今、当時若者だった農村の団塊世代は、戦後農業の3代目として団塊ジュニア世代にバトンタッチしようとしている。
 
 この団塊世代の若者が、今定年を迎える時代となって、新たに都市へ行った当時の若者と、農村に残った当時の若者が手を結びながらも、尚、自分の第2の人生を探しはじめている。「団塊の世代」という言葉通り日本の人口でイチバン多い世代だから、最近夢よもう一度みたいな昭和回帰的なつかしい話題も頻繁にメディアとかにも露出しているように見えるが、もしかしたら、’60年代~70年代のような現代版「自分探し」をしているのかもしれない。

 昨日、栃木のオイラの実家ではあるパーティが開かれていた。オイラは如何せん居残り残業のため実家に帰省はできなかったのだが、そのパーティーとは親父の「還暦」パーティーだ。還暦とは干支が一巡して、自分の干支に戻ることを言うそうで、再び生まれた時に還るという意味合いがあるともいう。親父も新たな「自分探し」がスタートするかもしれない。
 
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 とまぁ、ホントに長々と退屈な文章で書いてしまったが、「自分探し」というキーワードは今では当たり前のような感もする。しかし、当時若者だった「団塊の世代」は、まさにその先がけの世代であったかもしれないね。
 さて、次回は最終回。このコラムのタイトルがなぜ「たまにはフォークソングも唄いたくなるのさ」なのか、「団塊世代」の続き的なお話でお会いしましょう。次回も退屈なお話にお付き合いを。お楽しみに。(つづく)

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by agtec | 2007-05-04 23:47 | ●オイラのひとり言