自分の心の火が揺らついているとそれを整え直すのに「他」の「火」にあたりにいきたくなるもの。民俗学では「旅」を「他火」と書くそうだ。そんな「他」の「火」にあたりながら考察する「夢多(ムダ)」の多い日誌。


by agtec
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久しぶりに実家に帰った

 いや~。先週はバタバタして正月以来更新を滞ってしまった。というのも、いろいろ町づくりに関することであーでもないこーでもないっていうことがあってね。まー、大変な週だった。そんな大変な中、以前から決まっていたことで、東京への営業と実家の法事もあってこの週末ひさ~しぶりに栃木の実家に帰省した。オイラの実家は栃木の小山ってところなんだけどさ、1年くらい帰ってなかったんだけど、帰るたびにいろいろマチの風景が変わっていって驚いてしまうね。いつもは北海道ネタばかり書き込んでいるんだけどさ、今回はちょっと、オイラのふるさとネタを少々。下の写真は、新幹線をはじめ、宇都宮線、両毛線、水戸線が走る北関東の交通の要の小山駅舎。最近は東京までの新幹線や快速列車での通勤圏内ということもあり、とくに駅東口付近の開発もめまぐるしくベッドタウン的に小山の人口も17万人と栃木県下2位のマチになっている。
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○道の駅「思川」 
 まずは、駅は駅でも去年4月にR50号沿いにオープンした「道の駅思川(おもいがわ)」。名前の思川っていうのは、市内を南北に流れている川の名前なんだけどさ、幼いながらもいい名前だなぁなんて思っていた。実家は小山市のはずれにあるんだけど、小山駅と群馬県の高崎・前橋駅を結ぶ両毛線があるんだけど、小山駅から1つ目の駅の名前が「思川駅」。実家のすぐ近くにある駅なんだけどね。だから親しみやすい。でまたこの川で小さい頃はよくモリを突いて魚とったり泳いだりしてよく遊んだんだ。あと、関東では有名かもしれないけど、天然アユもいて、夏にはアユ釣りの釣り人で溢れかえる自然豊かな川だ。さてこの道の駅は北海道のスーパーかと思うくらい土地を贅沢に使った平屋のスペース内に地元農産物をはじめ、「小山ブランド」と銘打った、地元のこだわりの商品が並んでいる。
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オイラの実家は農家で、オイラの母さんが加工の免許とって漬物だの惣菜だのモチだのいろいろつくってるんだけど、この道の駅にも置く話もあったんだけど、別口で地元の大型スーパーや産直グループに出したりしているのでそこまで手がまわらないらしく断念。あ、そうそうこの加工販売で母ちゃんの口座に入ってくるお金で自分へのご褒美ということで母ちゃん専用の新車を買ったという。農業の6次産業化(1次産業×2次産業×3次産業の意:別途体験観光のジャンルでお話します)はいまや農村活性には当たり前のキーワードでもある。母ちゃんパワー恐るべし!でも、この道の駅では都市と農村の交流の拠点施設としても使っていく予定だという。いわゆるグリーンツーリズムの情報発信拠点だね。栃木と北海道を結ぶというのも悪くないね。あ、そうそう、栃木はイチゴも有名。最近農薬残留量が基準以上ということで、県内のあるJAのイチゴが大量に破棄されたという話もあるけど、小山のイチゴは大丈夫だと壁に貼ってあった。確かに基準値以上の農薬はいけないけど、風評被害というものがイチバン怖い。だからというわけではないけど、消費者のみなさんもそうだけど農業体験や農村体験などグリーンツーリズムという余暇活動だけではなくて、生産現場を知ってもらうような体験活動も生産者、消費者ともに交流していただきたい。そんなお仕事をオイラの会社でやってますのでよろしく!
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○小山評定
 そんなオイラのふるさと小山市はもうひとつ歴史的な顔も持っている。ときは慶長5年(西暦1600年)。徳川家康は、会津の上杉景勝を討つべく大阪をあとにし、本拠地江戸を出て間もなく7月24日小山に到着。このとき、石田三成が家康打倒の兵をあげたとの知らせを聞き、翌25日「西上して石田を討つべきか、このまま北上して上杉を討つべきか」決断をしなければならなくなり、小山においた本陣に諸将を集め軍議を開いた。これが世に言う「小山評定」で、昨年のNHK大河ドラマ「功名が辻」の山内一豊の話でもご存知の通り、遠州掛川の居城を譲ってでも家康に従うという一豊の建議が家康軍の結束力を高め、同年9月関ヶ原の戦いで見事勝利を収め江戸300年の歴史が始まるのだが、この小山の地での軍議がなかったら歴史が変わっていたかもしれないという地でもあるのだ。まさに家康が栄光をつかむきっかけの地となったというわけだ。市内を南北に走るR4号線の小山市中心部は「小山評定通」という名前にもなっている。このような歴史的な地ということもあり、現小山市長の大久保寿夫氏は『まさしく本市は、栄光への道筋をつけた「開運のまち」といえるでしょう。』と、英断と栄光への道筋をつける「開運のまち」として発信している。ちなみに開運の道が開いたのは家康だけではない。一豊も「古来より最大の功名」と家康からのちに土佐一国を分けてもらい大きな出世をしたことになった。評定地としてはどのあたりかは諸説あるが、史跡として小山市役所内の公園内にあるので、一度近くの方は足を運んでみてください。もうひとつ余談で、市役所の近くに須賀神社とい神社があるのだが、石田三成との合戦に勝負の願掛けをおこなった神社だそう。オイラはこの神社で七五三の詣でをしたんだけどね。さらに、オイラの名前は漢字で書くと「浩康」なんだんけど、この名前はこの須賀神社でつけてもらった。「康」は徳川家康の「康」からとったそうだ。う~ん、どうも名前負けしているようなオイラの人生。栄光の道筋はたてられるのだろうか・・・はぁ・・・。

 まだまだ、ふるさと自慢はあるのだが、また次回お話することとして、恥ずかしいかな地元の良さが今ごろになってわかってくる。地元もこう遠く離れていると客観的に見ることができる。いまは北海道にいるが、北海道の地元の人にしてみたらオイラはよそモノ。でも、よそモノの目から見た新鮮な体験や感動もある。これがマチづくりの原動力のようにも思う。今回「思川」や「小山評定」の話をしたが、地元に住んでいるとなかなかその価値や良さって分からないものだ。オイラのような仕事だけとは限らないがこの感覚を忘れてはいけないような気がした、ちょっと長くなった「オイラのひとり言(ふるさと編)」でした。・・・ふるさと編つづく・・・
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by agtec | 2007-02-19 20:11 | ●オイラのひとり言