自分の心の火が揺らついているとそれを整え直すのに「他」の「火」にあたりにいきたくなるもの。民俗学では「旅」を「他火」と書くそうだ。そんな「他」の「火」にあたりながら考察する「夢多(ムダ)」の多い日誌。


by agtec
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丁寧な「しつけ」の「おしつけ」

 最近ニッポンの教育はどうもおかしい。子供で言えば、凶悪犯罪の低年齢化にはじまり、学力低下の懸念や引きこもり、親側で言えば、公立ではなく私立に通わせようという「お受験」や、我が子に事があれば先生や学校の責任にしてみたり、その学校では必修科目の履修不足があったりと、子供が育っていく環境そのものが変になってきているようだ。国では詰め込み教育を「ゆとり教育」として実施してきたわけだが、いままた教育基本法そのものに疑問符がついて見直しを検討している。このへんのお話は、新聞やテレビのワイドショー、ニュースなどでみなさんもご承知の通りのことである。
 そんな中で、よく言われるのが家庭での教育のあり方であるが、とりわけ「しつけ」に関していえば子供が社会に出て行くため最初に学ぶ現場が家庭である。その「しつけ」がどうも、最近違う「しつけ方」になってきているようにも思える。
 「しつけ」を丁寧に行おうとすればするほど、「おしつけ」に思えてならない。確かに、言葉だけでみれば「しつけ」を丁寧語にすると「お」がついて「おしつけ」となるが、「しつけ」は「躾」という字を書き、「おしつけ」は「押付」であって意味が違う。
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 どうも、最近は「しつけ」が丁寧過ぎるのではないだろうか。「おしつけ」を行うのであれば、0歳児から子供が立ったをするまで、それからは「躾」として、読んで字の如く、「身」を「美しく」していってほしいものだ。と、オイラがこんなこと言っても子供もいなけばオイラがきちんと「しつけ」をされてきたかは定かではない。しかしこのような偉そうなことを言える値はないが、そうあって欲しいものだ(と自分の子供ができたときのために言い聞かせてみる)。一言で教育を語ることはできないが、みなさんはどう思うだろう?今回の「オイラのひとり言」でした。
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by agtec | 2006-11-09 23:33 | ●オイラのひとり言