フリーカメラマン 黒澤義教
2005年 11月 16日
●100万分の1の奇跡
4年前の4月。まだ雪も残る北海道。何度か仕事で訪れていた札幌の町並みを思い出すようにオイラは札幌大通公園をひとりぼんやり歩いていた。
「いや~。なつかしいなぁ。サッポロという町を今歩いている。この澄んだ北海道ならではの空気。この雪。なんともいえぬこの4月と思えない寒さ。いや、懐かしい。」
実は、2001年3月。趣味で続けていた音楽を本気でやってみたいと勤めていた出版社を退職。普通プロへの近道として音楽の活動拠点は東京なのに・・・とよく言われるが、たまたま北海道旭川での仕事のとき、偶然知り合った音楽関係者が旭川におり、その方を頼ってひとり上京というよりは思わず北海道に上陸してしまった。マイカーにてフェリーで小樽に入港。一路旭川に向かう途中、仕事で何度か訪れていた札幌に寄ってみたのだ。
「ん?やけに背の高ぇやつが歩いてくるなぁ・・・。なんか重たそうな機材もってるし。」
別に、その人物を気にして歩いていたわけではないが、普通に歩いている人よりも背が飛びぬけており、勝手にオイラの視線に入ってしまっていた。オイラの「札幌ふらり途中下車」の目標は大通公園を歩いてとりあえずテレビ塔まで行ってみようと思っていただけだったが、気付けばその人物に焦点を当てながら大通公園の歩道を東に歩いていた。その人物もオイラの方向に向かって歩いてきているわけである。
「ちょっとまてよ。似てる。」
その人物により焦点を当てながら歩いていた。
「あいつも札幌にいるって言ってたよな。まさか。」
本人だと確認できるまではそれから時間はかからなかった。お互い遠くからもはやにやけていた。会話をするのに十分な距離まできたとき、オイラたちはハモった。
「何やってんのよ。」
黒澤である。
●黒澤とのギターユニット「サングラーズ」
黒澤とは、大学時代の同級生で、学科は違ったが同じアパートで同じ音楽サークルの仲間だった。出身も隣同士の県でもあり気も合っていた(はず?)。黒澤のおかげで濃い学生生活が送れたのも確かである。曲のジャンルが違っていたので、一緒にバンドを組むことはなかったが、お互いアコースティックギターを持っていることあり、2人だけのギターユニット「サングラーズ」を作り、学園祭やイベントで唄っていた。ちなみに、「サングラーズ」とは酔っ払った勢いでつけたユニット名で、当時黒澤は何かについて「サングラス」をつけており、オイラも調子に乗って練習のときとか「サングラス」をして、ちょっとは格好良いロッカーだーみたいな感じで夜更けから朝方まで練習していた。2人とも「サングラスかけてライブで出よーぜ」と勢いでサングラスの複数系みたいな感じで「サングラーズ」と簡単に命名したわけである。やっていたジャンルといえば、しんみり大人の落ち着いた感じの曲のコピーだったり、そのとき旬だった邦楽のPOPをやってみたり、オリジナルでお笑い系の曲を作ってみたりとなんやかんやと唄っていた。
冒頭で「背の高いやつが・・・」と書いたが、こいつは背がでかい。オイラが小さいというのもあるかもしれないが、また、唄もうまく、もっぱらギターを奏でていたのはオイラのほうで、いつしか女の子のファンも出来たようだが、オイラには「ギター上手かったよ」くらいの声しかかえられなく、意味もなく悔しがっていた。
黒澤との思い出話は話せば書ききれなくなるので、続きはまた別の機会に。
●「ギター」から「カメラ」に人生の武器を持ち替えた
そんな黒澤も、学生時代後半あたりから以前から趣味だった写真に(写真が趣味だったというのは大学4年になってから。ホントにコイツを知っていたのかオイラは?と疑いたくなるが突然だった印象があった)、いつの間にか武器を「ギター」から「カメラ」に持ち替えた。
卒業後、自分はフリーのカメラマンになるんだと、札幌でカメラの修行を積んでいた。
その矢先、誰にも北海道に行くなんて行ってなかったオイラが北海道に上陸したその日に、札幌の人口100万人分の1の確率で、黒澤と偶然出会ったのである。オイラが女性ならば、「運命的な出会いね」と恋に落ちるようなシチュエーションであった。
こんなブログを投稿したのは、そんな黒澤も、本当のプロのカメラマンになると言って昨日11月15日。札幌をあとにして、東京に旅立ったのである。
●進む道は違うけれど・・・
オイラも体験観光の分野で仕事をしているが、この手の仕事はどうなればプロかという明確なものがないので難しいが、ひとりでも多くのみなさんにありのままの北海道を味わってもらえるように日々努力をしているわけで・・・。
カメラの分野は得手でないので、写真のプロとはどういうものかオイラもよく分からないが、
黒沢よ!進む道は違うけれど、東京でいっぱしのカメラマンになって、今度はオイラをバシッと撮ってくれ!
黒澤の作品がみられるブログ「くろふぉとろーぐ」はこちら
●追伸
音楽をやるために北海道に上陸したオイラだったが、これまで学んできた農業・農村の活性化というものに興味があり、今ではこの仕事に落ち着いてしまった。黒澤と一緒だな。音楽ももちろんバンドをつくって真剣に取り組んではいるけどね。
4年前の4月。まだ雪も残る北海道。何度か仕事で訪れていた札幌の町並みを思い出すようにオイラは札幌大通公園をひとりぼんやり歩いていた。
「いや~。なつかしいなぁ。サッポロという町を今歩いている。この澄んだ北海道ならではの空気。この雪。なんともいえぬこの4月と思えない寒さ。いや、懐かしい。」
実は、2001年3月。趣味で続けていた音楽を本気でやってみたいと勤めていた出版社を退職。普通プロへの近道として音楽の活動拠点は東京なのに・・・とよく言われるが、たまたま北海道旭川での仕事のとき、偶然知り合った音楽関係者が旭川におり、その方を頼ってひとり上京というよりは思わず北海道に上陸してしまった。マイカーにてフェリーで小樽に入港。一路旭川に向かう途中、仕事で何度か訪れていた札幌に寄ってみたのだ。
「ん?やけに背の高ぇやつが歩いてくるなぁ・・・。なんか重たそうな機材もってるし。」
別に、その人物を気にして歩いていたわけではないが、普通に歩いている人よりも背が飛びぬけており、勝手にオイラの視線に入ってしまっていた。オイラの「札幌ふらり途中下車」の目標は大通公園を歩いてとりあえずテレビ塔まで行ってみようと思っていただけだったが、気付けばその人物に焦点を当てながら大通公園の歩道を東に歩いていた。その人物もオイラの方向に向かって歩いてきているわけである。
「ちょっとまてよ。似てる。」
その人物により焦点を当てながら歩いていた。
「あいつも札幌にいるって言ってたよな。まさか。」
本人だと確認できるまではそれから時間はかからなかった。お互い遠くからもはやにやけていた。会話をするのに十分な距離まできたとき、オイラたちはハモった。
「何やってんのよ。」
黒澤である。
●黒澤とのギターユニット「サングラーズ」
黒澤とは、大学時代の同級生で、学科は違ったが同じアパートで同じ音楽サークルの仲間だった。出身も隣同士の県でもあり気も合っていた(はず?)。黒澤のおかげで濃い学生生活が送れたのも確かである。曲のジャンルが違っていたので、一緒にバンドを組むことはなかったが、お互いアコースティックギターを持っていることあり、2人だけのギターユニット「サングラーズ」を作り、学園祭やイベントで唄っていた。ちなみに、「サングラーズ」とは酔っ払った勢いでつけたユニット名で、当時黒澤は何かについて「サングラス」をつけており、オイラも調子に乗って練習のときとか「サングラス」をして、ちょっとは格好良いロッカーだーみたいな感じで夜更けから朝方まで練習していた。2人とも「サングラスかけてライブで出よーぜ」と勢いでサングラスの複数系みたいな感じで「サングラーズ」と簡単に命名したわけである。やっていたジャンルといえば、しんみり大人の落ち着いた感じの曲のコピーだったり、そのとき旬だった邦楽のPOPをやってみたり、オリジナルでお笑い系の曲を作ってみたりとなんやかんやと唄っていた。
冒頭で「背の高いやつが・・・」と書いたが、こいつは背がでかい。オイラが小さいというのもあるかもしれないが、また、唄もうまく、もっぱらギターを奏でていたのはオイラのほうで、いつしか女の子のファンも出来たようだが、オイラには「ギター上手かったよ」くらいの声しかかえられなく、意味もなく悔しがっていた。
黒澤との思い出話は話せば書ききれなくなるので、続きはまた別の機会に。
●「ギター」から「カメラ」に人生の武器を持ち替えた
そんな黒澤も、学生時代後半あたりから以前から趣味だった写真に(写真が趣味だったというのは大学4年になってから。ホントにコイツを知っていたのかオイラは?と疑いたくなるが突然だった印象があった)、いつの間にか武器を「ギター」から「カメラ」に持ち替えた。
卒業後、自分はフリーのカメラマンになるんだと、札幌でカメラの修行を積んでいた。
その矢先、誰にも北海道に行くなんて行ってなかったオイラが北海道に上陸したその日に、札幌の人口100万人分の1の確率で、黒澤と偶然出会ったのである。オイラが女性ならば、「運命的な出会いね」と恋に落ちるようなシチュエーションであった。
こんなブログを投稿したのは、そんな黒澤も、本当のプロのカメラマンになると言って昨日11月15日。札幌をあとにして、東京に旅立ったのである。
●進む道は違うけれど・・・
オイラも体験観光の分野で仕事をしているが、この手の仕事はどうなればプロかという明確なものがないので難しいが、ひとりでも多くのみなさんにありのままの北海道を味わってもらえるように日々努力をしているわけで・・・。
カメラの分野は得手でないので、写真のプロとはどういうものかオイラもよく分からないが、
黒沢よ!進む道は違うけれど、東京でいっぱしのカメラマンになって、今度はオイラをバシッと撮ってくれ!
黒澤の作品がみられるブログ「くろふぉとろーぐ」はこちら
●追伸
音楽をやるために北海道に上陸したオイラだったが、これまで学んできた農業・農村の活性化というものに興味があり、今ではこの仕事に落ち着いてしまった。黒澤と一緒だな。音楽ももちろんバンドをつくって真剣に取り組んではいるけどね。
by agtec
| 2005-11-16 23:01
| ●今日の他火人さん